行った、観た、感動した!ベロドロームでのオリンピック観戦記

静岡市医師会の市医しずおかに投稿した文章です。

 まだまだ新型コロナウイルス狂騒曲が続いている最中、1年間延期されたため首を長く長くして待ち続けた東京オリンピック観戦の日がやってきました。ああ東京オリンピック、遂に見に行ける。前回の東京オリンピックは1964年10月10日ですので、私は4歳です。まったく記憶にありません。両親も興味がなかったのか、観戦には出かけませんでした。後々の情報で東洋の魔女だとか、へーシングに負けただとか、三宅選手が金メダルとか、あたかも観たような錯覚に陥っていますが、おそらくテレビでも観ていないと思います。白黒テレビが当時すでに自宅にあり、スーパージェッターやエイトマンをみた記憶はあります。

 私のオリンピックの確かな記憶は、札幌で行われた冬季オリンピックです。フィギアスケートのジャネット・リン選手が転倒し、銅メダルを取ったのは確かにテレビで観ました。淡い金髪のショートカットでかわいい笑顔が素敵で、幼いながら恋心が芽生えました。小学6年生の秋です。当時ペプシコーラ、ファンタは瓶入りで、自動販売機で購入できました。自宅の前の酒屋に設置されており、よく買いました。栓の裏側に描かれたオリンピックのピクトグラムを集めるのに必死でした。全競技そろえるのを目指して、お小遣いを全てつぎ込みました。切手を集めるのも趣味でしたので集めるのが好きな子供だったようです。

 さて、遂に静岡県でオリンピックが開催されます。しかも有観客です。川勝知事の英断に心から感謝しました。オリンピックが観られるのは静岡県と宮城県だけですよ。限られた人しかオリンピックが観戦できないのに私は観に行ける。なんと幸運なのだろうと喜びながら8月7日午前中の診療を終わらせて、いそいそと妻と一緒に車で修善寺に向かいました。天気は曇りながら気温は高くかなり熱いので、コンビニによって氷を購入し、ゴルフで使っているアイシングバックに詰めて準備万端です。駐車場は離れたところにあり、広場に車を駐車して、シャトルバスで伊豆ベロドロームに連れて行ってもらいました。観客数は制限されているようで人数も少なくとてもスムーズです。ベロドロームの入場口も速やかに流れています。チケットを確認後に荷物チェックがありました。そうか、水の持ち込みは禁止されているのだった。氷を捨てるように指示されました。失敗です。でもボランティアの皆様はにこにこと愛想がよく気持ちよい対応です。入場後はグッズ売り場で帽子とボールペンを購入し、さあベロドロームに入場です。入口への階段を上っているとボランティアの方が写真を撮りましょうと声をかけてくれました。なんと感じのよい人たちなのでしょう。

 ベロドロームに入り座席へと向います。冷たいタオルと紙の団扇が無料でもらえました。指定された席に座りますとすぐ間近に木製の走路が見えます。トラックは最大傾斜角度45°であまりの傾斜にびっくりしました。

 さあ最初のレースは女子のスプリント本選でした。1対1で争うレースでトラックを3周します。駆け引きがあるようで止まったようになったり急にダッシュしたりハラハラドキドキする展開でした。日本選手がいなかったので少し残念。自転車の走行音と転倒や衝突時の音が会場に響き渡り、かなりの臨場感です。

 次は日本発祥のケイリンです。トラックを6周するのですが、最初の3周は黒い服を着たおじさんがぺーサーとなって先導して1列で走りますが、残り3周は選手が自由に走ります。この日は第1ラウンドで、4組に新田祐大選手が5組に脇本雄太選手が出ましたので相当盛り上がりました。ともに1位通過で準決勝が楽しみです。

 最後にマディソンというレースがありました。うっかり撮り忘れたので写真はありませんが、すごいレースでした。大迫力で驚きの連続でした。16チームが2人組で参加し、交互にトラックを走行しますが、交代は手をつなぎ引っ張り投げる感じで行われます。走行していない時はゆっくり走行して休みます。多数に選手が入り乱れ何が何だかわからない状態になりますが、すごい迫力です。10周ごとに1~4位までそれぞれポイントが与えられます。一周250mのトラックを200周、合計50㎞走るレースです。日本チームが出場していなかったのは残念でしたが、もし出ていれば大興奮だったと思います。

 間近に迫りくる自転車の迫力とダイナミックな展開に最高の満足感と幸せを感じて、暗くなり始めた伊豆市を後にしました。今日の観戦は一生忘れない思い出になりそうです。

                                                     吹田浩之

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