ピロリ菌感染と胃がんリスク
ヘリコバクター・ピロリ菌(H. pylori)感染は胃がんの主要な原因とされ、ピロリ菌の感染がない集団では胃がん発生率が極めて低いことが示されています ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )。そのため、ピロリ菌感染胃炎に対して除菌治療を行えば胃がんの発症を減らせるのではないかと考えられ、世界的に多数の研究が行われてきました。
特に日本や東アジアは胃がんの発症率が高く、ピロリ菌感染者に対する集団的な検査・除菌政策も検討されています (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。
ここでは、ピロリ菌除菌が胃がん予防に与える効果について、臨床研究やメタ解析のエビデンスをまとめます。
除菌治療による胃がん発症リスクの低下
多数の研究で、ピロリ菌除菌により胃がんの発症リスクが有意に低下することが示されています。主なエビデンスは以下の通りです。
- メタ解析(ランダム化試験): 最新のメタ解析では、ピロリ菌陽性者に除菌療法を行うと胃がん発症リスクが約3~4割低下しました (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。健康なピロリ感染者を対象としたランダム化比較試験8件の統合解析で、除菌群の胃がんリスクの相対リスク(RR)は0.64(95%信頼区間0.48–0.84)と有意に低下しています (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。また、早期胃がん内視鏡切除後の患者を対象とした試験でも、除菌群の胃がんリスクは0.52(95%CI 0.38–0.71)と約半減しました (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。観察研究を含めても結果は一貫しており、除菌治療が胃がん予防に寄与することが明確に示されています (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)
- メタ解析(日本のデータ): 日本人を対象とした研究19件を統合した系統的レビューとメタ解析でも、ピロリ菌除菌群は非除菌群に比べて胃がん発症リスクがおよそ58%低下し、相対リスク0.42(95%CI 0.35–0.51)という結果でした (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所) (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。特に健常人を対象としたサブグループ解析ではリスク0.34(95%CI 0.25–0.46)と約3分の1以下にまで減少しており、胃がん未発症の感染者で除菌の効果が顕著です (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。一方、早期胃がんの内視鏡治療後患者でも、除菌により異時性胃がん(新たな胃がん)のリスクがおよそ半減(相対リスク0.50, 95%CI 0.39–0.66)しました (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。これらの結果から、日本においても除菌治療による胃がん予防効果の科学的根拠は「確実」であると評価されています (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)
- ランダム化比較試験(一般感染者): 健康なピロリ感染者を対象とした大規模臨床試験も効果を示しています。中国から報告された長期追跡のプラセボ対照試験では、約1,600人の無症状ピロリ感染者を除菌群と対照群に割付け、26.5年間追跡しました。その結果、胃がんの累積発症率は除菌群2.57%に対し対照群4.31%となり、除菌により発症率が有意に低下しています(ハザード比0.57, 95%CI 0.33–0.98) (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology)。特に除菌前に前がん病変(萎縮や腸上皮化生)がない人では効果が顕著で、発症リスクが約6割以上低減しました(HR 0.37, 95%CI 0.15–0.95) (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology) (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology)。この試験では死亡率の差は統計的有意に至りませんでしたが、四半世紀にわたる追跡でも胃がん抑制効果が持続することを示しています。
- ランダム化比較試験(ハイリスク群): 胃がん家族歴がある高リスク者でも除菌の有用性が証明されています。韓国で行われた二重盲検プラセボ対照試験では、胃がん患者の近親者でピロリ陽性の約1,800人を7日間の除菌治療群とプラセボ群に分け、中央値9.2年間追跡しました。その結果、胃がん発生率は除菌群1.2% vs プラセボ群2.7%となり、除菌群で有意なリスク低下(HR 0.45, 95%CI 0.21–0.94)を示しました (Family History of Gastric Cancer and Helicobacter pylori Treatment – PubMed)。除菌治療を受けてピロリ菌が陰性化した人に限ると発症率は0.8%まで下がり、感染が残存した人の2.9%と比べ約73%ものリスク減少が得られています(HR 0.27, 95%CI 0.10–0.70) (Family History of Gastric Cancer and Helicobacter pylori Treatment – PubMed)。このように、ハイリスク群においても除菌療法は胃がん予防に大きな効果を発揮しました。
- ランダム化比較試験(胃がん術後例): 胃がんを一度発症した人でも、除菌によって新たな胃がんの発生を抑えられることが示されています。日本で行われた早期胃がん内視鏡切除後の患者を対象としたRCTでは、除菌治療群で異時性の胃がん発生がプラセボ群より有意に少なく、およそ1/3程度の発生率に抑えられました (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。実際、この試験の詳細解析では除菌群の胃がん発生率が年間14.1/1000人、対照群40.5/1000人と報告されており、除菌により新たな胃がんの発生が約65%減少した計算になります (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。この研究は胃がん既往患者に対する除菌の有効性を示した重要なエビデンスで、後のガイドライン改訂につながりました。
以上より、ピロリ菌除菌治療は胃がん発症リスクを確実に低減させることが多数の一次研究で示されています。特にピロリ感染者が若いうち(前がん病変が進行する前)に除菌することで、リスク低減効果は一層大きくなります。
除菌後の長期追跡データと発がん率の変化
ピロリ菌除菌の予防効果が長期的に持続するかを検証した研究も複数あります。長期追跡のデータからは、除菌による胃がん抑制効果は少なくとも10年以上にわたり継続し、時間とともに明確になってくることが示唆されています。
- 10年以上の追跡: フォローアップ期間が平均10年を超える試験や解析では、除菌群での発がん率低下が一層はっきり示されています。例えば、欧米とアジアのデータを集めたメタ解析では、10年以上の長期では除菌による胃がん発症と死亡のリスク低下が明確になると報告されています (A Meta-Analysis Beyond 10 Years of Follow-Up – PubMed)(※具体的数値はFordらの解析より)。また、日本で除菌療法が保険適用開始(2013年)から5年時点では全国の胃がん罹患数に大きな変化はみられませんでしたが ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )、これは効果発現にタイムラグがあるためと考えられます。理論上、集団レベルで効果が現れるには10年以上を要する可能性が指摘されており ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )、実際に年次推移でも2013年以降は徐々に胃がん発生率の減少傾向が強まってきています ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )。
- 22年・26年追跡の試験: 前述の中国における22年間の追跡試験(Shandong研究)では、除菌群で胃がん発症リスクが約半減しており(OR 0.48, 95%CI 0.32–0.71)、この効果が20年以上持続することが示されました ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC )。さらにこの研究では、胃がんによる死亡率も除菌群で有意に低下し(調整ハザード比0.62, 95%CI 0.39–0.99)、長期的に見れば除菌が胃がん死亡を減少させうるエビデンスとなっています ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC )。また別の中国の高リスク地域での26.5年追跡RCTでも、四半世紀後に除菌群の発症ハザード比0.57と優位差が保たれており、長期間にわたり予防効果が持続することが確認されました (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology)。
- 発症までのタイムラグ: 長期データからは、除菌後数年では差が小さくても10年を超えると差が顕在化するケースがあることがわかっています。例えば、日本人の胃がんハイリスク者を対象としたある解析では、除菌後5年以内では発がん抑制効果が統計的に明確でなくとも、10年以上経過観察すると徐々に差が開いていく傾向が示されています (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology) ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC )。これは、発がんまでの潜伏期間や前がん病変の進行停止に時間がかかるためと推察されます。したがって、除菌の真の恩恵を評価するには長期的視野が必要です。
総じて、除菌治療による胃がん予防効果は長期にわたり持続し, 追跡期間が長くなるほど発がん率・死亡率の低下が明確になることが示唆されています。特に発がんハイリスクの集団では、除菌後8~10年を過ぎる頃から胃がんの累積発生率曲線がプラトー化し始め、以降は対照群との差が拡大すると報告されています ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC )。したがって、公衆衛生レベルでも早期除菌介入から10年以降に本格的な胃がん減少効果が現れると考えられます。
日本やアジア諸国での研究結果と今後の展望
東アジアはピロリ菌感染率・胃がん発生率ともに高い地域であり、日本やアジア各国から除菌による胃がん予防効果を示す研究報告が多数あります。それらの知見は各国の政策にも影響を与えています。
- 日本の研究と施策: 日本では、前述のように国内データのメタ解析で除菌群の胃がんリスクが約半分以下になることが確認されました (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。これを踏まえ、2013年からピロリ感染胃炎に対する除菌治療が保険適用となり、全国規模でのピロリ菌検査・除菌が実施可能となりました ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )。保険適用開始後まだ数年は目に見える罹患率低下は現れませんでしたが、長期的には胃がん患者数・死亡者数の減少につながると期待されています ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC ) ( Prevention of gastric cancer by Helicobacter pylori eradication: A review from Japan – PMC )。実際、日本の年齢調整胃がん罹患率は除菌普及とともに緩やかに低下傾向を示しており、国立がん研究センターは「科学的根拠は確実」としてピロリ菌除菌の胃がん予防効果を認定しています (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)。
- 韓国・中国などのエビデンス: 韓国では胃がん高危険群(家族歴陽性者)でのRCTにおいて除菌の有効性が示され(発症リスク0.45に低減) (Family History of Gastric Cancer and Helicobacter pylori Treatment – PubMed)、これが世界的に注目を集めました。また中国では複数の地域で一般集団を対象とした試験が行われ、いずれも長期的に胃がん発症率を約40~50%減少させています ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC ) (Effect of Helicobacter pylori Eradication on Gastric Cancer Prevention: Updated Report From a Randomized Controlled Trial With 26.5 Years of Follow-up – Gastroenterology)。これら東アジアからのエビデンスが重なり、**「胃がん多発国ではピロリ菌スクリーニングと除菌を検討すべき」**との国際的なコンセンサスも形成されつつあります (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology) (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。
- 台湾における集団除菌プロジェクト: アジアの中でもユニークな取り組みとして、台湾の馬祖(Matsu)列島では2004年より地域住民へのピロリ菌集団検査・除菌プログラムが実施されました。その長期追跡結果によれば、プログラム開始後に胃がんの発生率が53%減少し(95%CI 30–69%)、胃がん死亡も減少傾向を示しています ( Mass eradication of Helicobacter pylori to reduce gastric cancer incidence and mortality: a long-term cohort study on Matsu Islands – PMC )。統計的に有意な死亡率低下には至りませんでしたが、さらに追跡を延長すれば**胃がん死亡の有意な減少(約39%減)**が達成できると予測されています ( Mass eradication of Helicobacter pylori to reduce gastric cancer incidence and mortality: a long-term cohort study on Matsu Islands – PMC )。このように高リスク地域でのピロリ菌一斉除菌は有望な戦略であり、日本でも地域単位でのモデル事業(中学生へのピロリ検査等)がいくつかの自治体で試みられています。
- 東アジア以外の知見: ピロリ菌感染と胃がんの関係は世界共通ですが、除菌介入研究の多くは東アジアで実施されており、他地域ではエビデンスが限られます (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)。欧米など胃がんリスクの低い地域では費用対効果の問題からスクリーニング除菌は一般化していません。ただし、移民集団や一部高リスク集団での研究は徐々に蓄積しており、将来的にグローバルなガイドラインにつながる可能性があります。
まとめ
ピロリ菌の除菌治療は、胃がんの一次予防に有効であることが数多くの研究で示されています。
臨床試験やメタ解析の結果、除菌により胃がん発症リスクがおおむね半分程度に低下し (ヘリコバクター・ピロリ菌除菌と胃がんリスク | 現在までの成果 | 科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究 | 国立がん研究センター がん対策研究所)、特に若年層で除菌を行うことで予防効果が最大化します 。
高齢者でも除菌によるリスク低下はみられるものの、一部リスクは残存するため定期的な監視が推奨されます。除菌効果は長期に持続し、10年以上のスパンで見れば胃がん罹患率・死亡率の有意な減少が確認されています ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC ) ( Effects of Helicobacter pylori treatment and vitamin and garlic supplementation on gastric cancer incidence and mortality: follow-up of a randomized intervention trial – PMC )。
日本や韓国、中国など胃がん多発国からのエビデンスは、ピロリ菌検査・除菌の公衆衛生的介入を支持するものであり (Eradication Therapy to Prevent Gastric Cancer in Helicobacter pylori–Positive Individuals: Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials and Observational Studies – Gastroenterology)、今後さらに長期の追跡研究や他地域での検証が進めば、「ピロリ菌感染症の制御=胃がん予防」という戦略が国際標準として確立されることが期待されます。